メリーのバレンタインエピソード

メリーがバレンタインを始めたのは、1958年(昭和33年)

  • 最初のバレンタインチョコレート
  • 1959年(昭和34年)に発売されたチョコレート

メリーがバレンタインを始めたのは1958年(昭和33年)。

その年の1月、メリーの社員がパリに住む友人から受け取った一通の絵葉書がきっかけでした。

そこには「こちらパリでは2月14日はバレンタインデーといって花やカード、チョコレートを贈る習慣がある」と書かれていました。

これをチョコレートの販促イベントに結びつけられないだろうかと考え、2月12日~14日の3日間、都内百貨店で日本初のバレンタインフェアを行いました。

しかし当時バレンタインデーを知る人はなく、50円の板チョコレートが3枚と20円のメッセージカードが1枚、

たった170円の売り上げでした。

初恋バレンタイン1960年代 頬染めて、そっと手渡すチョコレート

その翌年の1959年(昭和34年)、ハート型のチョコレートに鉄筆でTOとFROMを描き、贈り手と相手の名前を入れるサインチョコレートを発売したところ、斬新なアイディアが注目を集め、バレンタインは徐々に知られるようになりました。

バレンタインが人々の間に浸透していったことは当時の社会背景と無関係ではありません。

1959年頃といえば女性週刊誌が次々に創刊され、女性のライフスタイルが見直されていた時代。

その潮流の中で『女性が男性に1年に1度愛の告白ができる日』というメリーのキャッチコピーは女性の心を捉えたのでした。

1960年代のバレンタインは『愛の告白』であり、好きな人にそっと手渡す『初恋チョコレート』でした。

  • 彼、どんな反応するかしら?
  • 愛はハートの問題です。2月14日。

記念日文化功労賞・セント・ヴァレンタイン村と友好提携

ラルブルダムール<愛の木>キャンペーンがスタート!~「愛のチョコレート」セント・ヴァレンタイン親善大使企業に任命~

日本で半世紀以上、バレンタインを通して愛を育んできたメリー。

2010年にフランスのセント・ヴァレンタイン村と友好提携を結び、またメリーが日本でバレンタインを「愛の日」として取り組んできた功績を称えられ、「愛のチョコレート」セント・ヴァレンタイン親善大使企業として任命されました。

セント・ヴァレンタイン村には、村から贈られたメリーのラルブルダムール<愛の木>があります。愛の木に結ばれた願いは、風に飛ばされると叶うという伝説が。メリーでは2011年よりラルブルダムールキャンペーン用メッセージカードをご用意し、みなさまの愛の願いをフランスの愛の木に結んでいます。2011年1月18日には、セント・ヴァレンタイン村の村長ピエール・ルッソー氏に来日いただき、ラルブルダムールキャンペーンの紹介と親善大使企業任命式を華々しく記者発表しました。

セント・ヴァレンタイン村

フランスの中央部にあるセント・ヴァレンタイン村は、中世で戦いがたえなかった時代に、大司教の司祭が「フランス中の愛が集まり、愛があふれていくように」と、この村を愛の村“セント・ヴァレンタイン”と名づけました。今も恋人たちが愛を誓いに村に集まり、2月には、セント・ヴァレンタイン司教のお祭りが開かれます。

記念日文化功労賞を受賞

「女性から男性に、チョコレートとともに愛の告白を」というバレンタインギフトを日本で提唱したメリー。

1958年(昭和33年)、東京で行った日本で最初のバレンタインセールは、3日間で50円の板チョコ3枚と20円のメッセージカードが1枚、総売上はたった170円だったという伝説的なエピソードが残っています。それが今では恋人だけでなく、ファミリーチョコ、友チョコ、自分用のご褒美チョコなど、多様化しながら浸透しています。こうした日本独自の季節催事、ギフト習慣を提唱、発展、定着させた功績が高く評価され、メリーチョコレートは2013年1月、日本記念日協会より日本では一社だけ「記念日文化功労賞」を授与されました。

記念日文化功労賞